RAZZAK ABDUR

日本の会社で経験を積んで帰国後、貿易会社とか自分の企業を作りたいと思っております。

バングラデシュ出身
日本語科進学1年
2023年3月卒業

バングラデシュ出身
日本語科進学1年
2023年3月卒業

進学先の大学ではどんなことを学ぶ予定ですか。
次の学びたいことというと、子供のころから父の国際ビジネスの経営についてずっと見ていたので、経営についての興味がありました。しかし日本式の経営についても興味があって、今、東京にある大学で経営について学びたいと思っております。
日本語能力試験の何級に合格しましたか。
N2に合格しました。
合格できた一番の理由は何だと思いますか。
合格した一番の理由は、この学校の先生たちは非常に親切でいつも教えてくれているので、先生たちの指示にしたがっていつも勉強したのが一番の理由だと思います。そして、ずっと最初から、分からないことがあれば辞書を引いて調べるのが私の趣味だった。それで、合格した理由が一番かなと思っております。
日本語の勉強で何が一番大変でしたか。
日本語の一番大変なことというと、私にとっては漢字と文法が一番大変でした。そして、私の話し言葉はほとんどはアルバイト先で日本人といつも話しながら教えてもらったので、広島弁になってしまったから、それを標準語になおすのが一番大変かなと思っております。
留学してよかったと思うことは何ですか。
自分に自信が持てるようになってきたかな、と思います。どちらかと言うと、留学する前は自分のことは自分でするのがちょっと大変でしたし、一人暮らしもしなかったから、日本に留学して、自分のことは自分で決めるとか、時間ごとに何でもするとか、責任をもってアルバイト先でも話すとか、なってきました。それが一番良かったと思います。
留学中、一番大変だったことは何ですか。
あまりないと思っているんですけれど、ないことはないとも思っています。最初は家族とか親戚がいなくてちょっと寂しいなと感じました。そして自分のことも自分でしないといけないになってしまって、アルバイト先でもちょっと疲れて、ちょっと嫌な感じも最初は感じましたけど、でも今はそんなに大変なことはないと思っております。
留学先にここを選んだのはなぜですか。
この学校を選んだ理由は、実は私のお兄さんの友達がこの学校で勉強しました。日本に留学しようと決めたあとは、お兄さんの友達が、「三原国際外語学院の先生たちが非常に親切で教えてくれて、三原市も自然に恵まれていて、山とか海がきれいですよ」と勧められてこの学校を選びました。
三原市はどんな印象ですか。
三原に来るころは12月ごろだったからとても寒くて、ちょっと寒い感じかな、と印象に残っています。そして、コロナのせいでその時は緊急事態宣言が続いていたので、空港とかホテルにもそんなに人がいなかったから、ちょっと人が少ないなとも感じました。
でも、泊まっていたホテルは道の隣だったけど、ずっと車が通っていたし、自転車も通っていたけど、ベル(クラクション)が全然ならなかったから、「ああ、これが日本かな」と思いました。そして、三原市は、きれいに心に残る街だと思っております。
将来の夢は何ですか。
私の夢は、多国籍企業で輸出輸入のやりとりとか経営が関係あることをしたいと思っております。そして、日本の会社で経験して、自分の国へ帰国して、貿易会社とか自分の企業を作りたいと思っております。
最後に、これから日本への留学を考えている人にメッセージをお願いします。
みなさんもちろんアルバイトすると思うんですけど、本物の日本人とアルバイトができるアルバイトを探してください。例えば、コンビニやら工場やらレストランやらで、本物の日本人といつも行動ができるとか、話すことができるとか、楽しむこともできるきっかけがあるから、そんなところでアルバイトをしてください。
それでお金も稼げるのはもちろんですけれども、学校で学ぶとか、自分の国で学んでくる日本語と本物の日本人の話し言葉は全く違うから、将来のためにもなると思うし、本物の日本人と働くならいい友達も作れると思っております。
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